上海→京都→東京
転勤族じゃないはずなのに、ねぇ・・・。
飛行機は、国内線に乗る程度になりました(^^ゞ
たまに、○○へひとっ飛びも・・・あるかも???
一年 [⇒その他]
あれから、一年がたちました。
ちょうど、春節休みの記事が自動更新されている時期。
突然の知らせにビックリ。
実は、体調不良で休んでいたところ・・・
同行者からの「日本が大変」という電話が入りました。
何事かと、BS1を観ると津波が。
あとはもう。
上海では、交通機関のあちこちにテレビが用意されていて、
バス停や地下鉄の駅ではその日のニュースが観られるようになっています。
その報道たるや。
もう。
4月の輪番停電のさなかに一時帰国した時は、
薄暗い駅に沢山の人がいつも通りにいきかう様子、
友達やなじみのお店、親の話を聞いて、
これまでに様子がわからなくて不安になっていた気持ちや、
緊張感が徐々にほぐれるような気がしました。
あの時は、一時帰国して本当によかったと思いました。
あれから一年。
同行者から、「あれっ?防災マニュアル作らないの?」
ああ、食べ物や飲み物をせっせと備蓄するだけじゃダメよね~。
はい、これから作りますっ☆
ちょうど、春節休みの記事が自動更新されている時期。
突然の知らせにビックリ。
実は、体調不良で休んでいたところ・・・
同行者からの「日本が大変」という電話が入りました。
何事かと、BS1を観ると津波が。
あとはもう。
上海では、交通機関のあちこちにテレビが用意されていて、
バス停や地下鉄の駅ではその日のニュースが観られるようになっています。
その報道たるや。
もう。
4月の輪番停電のさなかに一時帰国した時は、
薄暗い駅に沢山の人がいつも通りにいきかう様子、
友達やなじみのお店、親の話を聞いて、
これまでに様子がわからなくて不安になっていた気持ちや、
緊張感が徐々にほぐれるような気がしました。
あの時は、一時帰国して本当によかったと思いました。
あれから一年。
同行者から、「あれっ?防災マニュアル作らないの?」
ああ、食べ物や飲み物をせっせと備蓄するだけじゃダメよね~。
はい、これから作りますっ☆
タグ:地震
あれから1年ですね。
私も5月の連休で帰省したなぁ。
私とパパの両親の疲れきった顔は
今でも忘れられないです。
by etu (2012-03-13 12:17)
etuさま、コメントありがとうございます(^^)
そうでしたね。
ご実家の方は、余震も相当だったと思います。
東京や横浜で過ごしていても、
みな一様に疲れ切った顔して、節電のせいだけじゃなく、
本当に暗かったことが思い出されます。
きっと、etuさんが帰ったことで、
ご両親もさぞ勇気づけられたと思います☆
by soraaane (2012-03-13 16:40)
関東、東北地方は余震未だ止まずですね。
気になります。
関西の静けさもとても気になります。
何処で被災するかによっても準備は異なりますね。
ペットボトルの飲料水だけは常に1〜2カートンは備蓄していますが。…
by orange (2012-03-14 00:07)
こんにちは。
友人がブログに書いていました。「このことを忘れないで欲しい」って。
私たちにとっては現在進行形といいたかったのでしょう。
「被災者」と呼ばれることに抵抗を感じながらも、このことを風化させてはいけないのだと思いました。
とはいえ、全然備蓄してない私。いかんですね・・・。
by youji (2012-03-14 08:58)
友人の旦那さんは輪番停電のせいもあって少しおかしくなってしまったそう・・・・。
暗いムードや寒さに打ち勝てなかったそうです。
うちは関西なのですっごく揺れただけで被害はなかったのですが、
関東にいる親せきはかなり難儀してるみたいな話はしてました。
1年前は・・・・焼き肉食べに行ってました。
そこまでひどいって思ってなかったのですが、
店員の子に教えてもらってやっとわかったような始末で・・・・。
by みーこ (2012-03-14 09:07)
orangeさま、コメントありがとうございます(^^)
大きな地震の知らせには、いつもドキッとさせられますね。
本当に早く収まってもらいたいものです。
京都だと、怖いぐらいほとんど地震はありませんね。
横浜に住んでいたころは、月1回ぐらいは
必ず体に感じる地震があって、「おお、揺れてる」と思ったものです。
こちらでの部屋探しは、震災以降の建築であること、
会社から数時間で帰れる徒歩圏であることにこだわりました。
水は、2ケース備蓄していますが・・・
地震がきたら開かなさそうな納戸なので、
置き場所に困ってます(>_<)
by soraaane (2012-03-14 16:09)
youjiさま、コメントありがとうございます(^^)
こんにちは。
テレビでは、一年が経過した現地の状況を報じていました。
全く手が付けられない地域が多く、ショックでした。
気持ちも、被害も、まだ続いている。そんな気がしました。
備蓄は、上海に居たころは、今よりもひどくて
2~3か月籠城出来るぐらいの勢いでやってました(^^ゞ
鳥フルが広がったら絶対にヤバい!という考えだったので、
パスポートと航空券代(現金)だけは
手元にいつもおいていましたよ。
by soraaane (2012-03-14 16:16)
みーこさま、コメントありがとうございます(^^)
普段とは全く違う生活をしなければいけない状況でしたから。
仕事によっては、とっても辛かったと思います。
横浜では、あちこち友達に会いに行ったり、
活動していたのですが、移動の時の電車の雰囲気は
たまらなかったです。
関西でも大きなビルは揺れたようですね。
関東では、電気が使えない。という危機感があって、
被害は少なくても、精神的なプレッシャーがあったと思います。
一年前は、東京でしたか。
東京は見た目は大丈夫そうなので、
私も状況は聞いて初めてわかった感じです。
東京タワーの先が曲がってるのを見たときは、
こみ上げてくるものがありました。
by soraaane (2012-03-14 16:34)
あのころ,被災地まっただ中の私は何も情報が入らず,ひたすら食糧確保に励んでました。
後からニュースの映像見てこれは確かに死んでるんじゃないかと思われても不思議はないかもって思いたのを思い出す1日でした。
by mau (2012-03-17 07:02)
mauさま、コメントありがとうございます(^^)
報道にかじりついていた状態では、
本当に大丈夫か。と不安な気持ちになりました。
まず、食べ物をたべて、次の活動に備えるのは
一番重要なことかもしれません。
あの時は、誰もが情報不足で何かわかりませんでしたからね。
いざという時にどう行動すべきか、考えさせられました。
by soraaane (2012-03-17 08:58)